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【刀剣乱舞】♡伊達組♡
参加者リスト(136)
全ての参加者コスプレイヤーユーザー
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同盟プロフィール
同盟の名前【刀剣乱舞】♡伊達組♡
開設日2015年05月24日
管理人るな
ジャンルゲーム
関連作品刀剣乱舞
参加人数136人
公開レベルコスプレイヤーとユーザーのみ
参加資格コスプレイヤーとユーザー
参加方法自由参加
同盟の紹介
刀剣乱舞の燭台切光忠・大倶利伽羅・鶴丸国永・太鼓鐘貞宗が好きな方向けの同盟になっております。


※「鶴丸さん伊達にいた?」の方には向いていない同盟となっております

以下、四刀の由来・来歴になります。【参照:名刀幻想辞典・wikiなど】

【燭台切光忠】
>名の由来
伊達政宗の小姓某に少々の不行跡の事があり、政宗より懲戒を与えられるも少しも懲りたところがなかったため、差していた光忠の刀で抜打ちにこの小姓を斬った。

小姓は二つになって倒れたが、切先がその先にあった燭台を真ん中より切り落としたために以後「燭台切光忠」と号したという。
>来歴
光忠作の刀を特に愛用した信長が所持し、その後秀吉へ伝わった。
秀吉が度々伏見に登っていた頃、伊達政宗が淀川に浮かべる御座船を一艘造り献上し、その際に秀吉から拝領したのがこの光忠であるという。
政宗は翌日には早速その刀を佩用し御前に出ているが、この時に秀吉が下賜したものの惜しかったのか、ふざけて捕り物をしたことが記録に残る。
伊達家ではこれを秘蔵したが、ある時水戸徳川家の頼房から懇望され進上したという。
その後水戸徳川家に伝わった

水戸徳川侯爵家に伝わったが、大正12年の関東大震災にて焼ける。
燭台切光忠は残念ながら関東大震災で被災し焼刀となってしまいました。今も焼刀の状態で博物館に保管されています。
【徳川ミュージアムのブログ】

【大倶利伽羅広光】
>由来
刀身の指裏にある大きな倶利伽羅竜の彫り物にちなむ。
江戸時代後期の仙台藩の儒者若林靖亭(若林友輔)によれば、政宗が常に軍陣に帯びていたといい、非常な業物であったという。

>来歴
徳川家から江戸城の石垣修築の命がくだされ、元和6年(1620年)に完成する。
その時の褒賞として与えられたものだが、当時政宗は仙台藩在国であったため嫡子の美作守忠宗が11月21日に拝領した。
貞享4年(1687年)卯月29日、本阿弥家に砥に出され、刃長などが測られている。「長二尺二寸二分五厘」で名物帳にもこの長で記載されるが、伊達家の記録ではすべて「長二尺二寸三分」になっているという。
将軍家から拝領した時にすでに五十枚の小札がついていたが、安永7年(1778年)12月に百枚に格上げされている。
昭和まで伊達家に伝わる。
明治17年8月に仙台から東京に移されるが、関東大震災も免れており昭和9年12月20日重要美術品指定。
旧国宝指定時にも伊達興宗伯爵所持
※法人所蔵(大阪府茨木市)

【鶴丸国永】
>由来
鶴丸の号の由来は不明。
失われてしまった太刀拵に「鶴」の文様があったからとも言われている。

>来歴
元々は余五将軍と呼ばれた平維茂が所持し、その後秋田城介に伝えたという。
鎌倉頃には安達貞泰が所持。
鎌倉時代後期、弘安8年11月に起こった霜月騒動で安達一族が滅ぼされた際に、第9代執権北条貞時が入手した。一説に、貞時はこの刀欲しさに貞泰の墓を暴いたという。
のちに織田信長が御牧景則(家臣三枝勘兵衛とも)に与え、景則の子信景が関ヶ原敗戦で没落すると、諸家を経ていつの頃よりか伏見藤森神社にあったものを本阿弥光温の弟光的が取り出している。元禄十六年八月三日付の本阿弥の極めがある。
享保年間までには仙台伊達家に渡っていたという。
明治9年の仙台行幸のおりに、仙台藩主伊達宗基から明治天皇へ献上された。
伊達家に伝わった書によれば次のような伝来であるという。

京鶴丸国永の太刀は、保元の頃、村上太郎永守これを帯び、其後清野三郎入道に伝わり、其より越後の城太郎に伝わりて之を所持す、弘安の合戦に紛失して行方不明になったのを鎌倉の執権北条貞時訪ね出して所持す、其後伝来詳らかならずして、元亀の頃織田信長の手に入り、公より三牧勘兵衛に賜る、其のち出家某の所持となり転じて伊達家に収まりし云々

この来歴は森田左衛門という刀商の書付、さらに本阿弥六郎左衛門の添え状などにも書かれているという。
ハバキに「りんどう」の透かしがあるため「利無動(利不動)」とも呼ぶという。
※宮内庁三の丸尚蔵館所蔵

太鼓鐘貞宗
由来>太鼓鐘の号は、堺の太鼓鐘たいこかねという名の町人が持っていたためという

来歴>堺の太鼓鐘という名の町人が所有していたものが、江戸時代には将軍家の所有となっていた。
元和ごろの「本阿弥光柴押形」には「御物」と書かれており、当時徳川将軍家所蔵。
延宝4年(1676年)に本阿弥家で三千貫の折紙を出している。
享保名物帳編纂時は下総佐倉藩初代藩主であった稲葉丹後守正往の所持。
2本ある
【仙台藩伊達家所蔵】:8寸2分。現存、重要文化財指定。
【下総佐倉藩藩主稲葉家所蔵】:八寸三分半。
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