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「コミケにおけるサシャ問題
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「コミケにおけるサシャ問題に対する個人的な考察」
閣下@最後の希望
2019年08月20日 15:16
「コミケにおけるサシャ問題に対する個人的な考察」
時間もたったし話を掘り返すのもどんなものかと思ったけど
取り合えず記しておこうと書く事にしました。

サシャ問題とはコミケにおいて進撃の巨人のサシャの仮装をハイレグで行い
まぁ作中でサシャはハイレグになった事は無いし
露出するようなキャラでは無いので
そんな方にサシャの仮装でコスプレと名乗って欲しくない
と言ったツイートが炎上したものですが

コミケットのポリシーにこういうものがあります
「コミケと言う場ではその性質上、多種多様な表現が行われており
その表現の中には貴方の意に添わない(嫌いな)表現を行われている事もあります。
コミケは表現において自由な場であり
マンガ、アニメ、etc.のファンの交流会の場で在り続ける為に
自分の嫌いな表現にも理解し歩み寄る努力をしましょう」
と、言うものです。

つまり、会場での露出ルールを守っているならば
ルール上は特に問題は無く
そのキャラはそんな扮装はし無いと言うのは
その人個人の感情論に過ぎないと言う事になります。

しかしながら自分がどう思ったか?をツイッター上で呟いてはいけないか?
と、言えばそう言う訳でもなく
この問題が炎上したのはその呟いた人と同じような気持ちになった人も少なくは無い
と、言う事だと思います。

では、どんな部分に引っかかったか?と言うと
作品も良く知らないでの露出のアレンジが
「ファンによる仮装参加のアレンジ」では無く
「知名度が高い作品を利用した売名行為」に見えたからでは無いでしょうか?

おそらく、これがコスプレでは無くただの仮装と言えばここまで炎上はしなかったと思います。
つまり、「コスプレとはファンによる仮装表現である」と思っている人が少なくは無い
と言う事だと思うのです。

何故ならばコミケ会場はコスプレ以前に
マンガ、アニメ、etc.のファンの祭典でありファン同士の交流会の場である
と言うのが基礎にあるからです。

もちろん、ファンの祭典だからといってファン人以外が来ちゃ行けない事無いし
その場のルールに従っているなら表現していけない訳ではありません


もしも、コスプレが仮装となんら変わり無い物で全ての仮装がコスプレだとするならば
コミケがもうファンの交流の場でも祭典でも無いのであれば
「同士と思われたくない」
つまり、参加者意識の崩壊を意味します。


私が私のコスプレ論で語っている部分で「コスプレとは心の在り方」と言ってる部分です。
「心の在り方」はルール化出来ません
しかしながら「何を目的として仮装しているか?」は行動に出ます。


噂話の範疇ですが昔からAV女優や小さな事務所のアイドル志望の方や
生活に困っている地下アイドル等がコミケの知名度、
作品の知名度を利用して売名行為の為に来ていると言う噂はあります。

それは、「私利私欲の為の作品の悪用」として映るのだと思います。
こういう方々は自身の夢や生活がかかっていたりするので
注目を集める為ならパンツを見せる事をいとわない方もいます。

そうした方々が居ればコミケは治外法権の場でコスプレはカメラをスカートの中に入れて
撮影しても許される場であると勘違いする人も出てくるでしょう
撮らせているんですしね

今回のコミケでも海外からのレイヤーさんがスカートの中にカメラを突っ込まれたと聞いています。


こうしたことに繋がると考えればルール上問題無くとも
感情論で騒ぎ立てると言うのも解らなくは無いです。


スタッフもボランティアですが最近はボランティアスタッフになりたがる人も減って来たと聞きます。

コミケでは皆がちょっとづつ我慢する
他者の表現を理解するように歩み寄る
そう言うのも参加者意識であり
この考えはコミケだけで無く今後世界と繋がって行く為にも
宗教の違い文化の違い肌の色の違い性別や年齢の違いを乗り越えていく為には
必要な考え方だと思います。

しかしながらその考えに行き着く為には周囲の人達も自分と同じ人間なんだと自覚する必要があるし
その手前で、何の為に誰の為に我慢するのか?理解する必要があるのか?
このキーワードは「同士の為」「同胞の為」「仲間の為」に我慢出来る
と言うのが在るのではないでしょうか?

最近では同じジャンルのコスプレイヤー同士でも仲良く出来無い環境になって来てると聞きます。

コミケの理念にこうあります
「コミケットは場、容器、であるが故に、参加者、本、状況の変化によって
 その内実は変わり続けていくことになります。
 コミケットの変化とは、即、参加者の変化です。」

その参加者の変化がコミケをファンによる祭典で無したのなら
我々ファン人はその場に行かなくなるだけです。
既に我が同胞でコミケもコスプレも変わってしまったから行く気がしなくなった
と言って行かなくなった人も少なくはありません


上記に上げている事は既にそうなりかけている変化であると私は思っています。

前にコスプレで競いたい人と競いたくない人で住み分けをして仲良くすればいいじゃないか
と言うTLを見たのですが何処かで競えば基準が出来る
審査員に有名人や実績や権威がある人が居れば尚の事
基準が出来れば上下が出来るそれを根拠に比べる人が必ず出てくると言う事です。
そんな場になった時、我々ファン人は争いはしません
ここは我々の場では無くなったと黙って居なくなるだけです。
つまり、人が入れ替わるだけなのです。
その入れ替わった人達がファン人で無いならファンの祭典では無くなると言うことです。
入れ替わった人達が済み易い環境に変えて行くだけです。


元はどんな気持ちでコスプレを始めたか?
多くの人は知っていた筈なんです。

カメラに囲まれたり立場が出来てしまったり
長くやっているうちに技術が向上して行ったりすると
その気持ちが解らなくなってしまう事もあるようです・・・(´・ω・`)



話が変わりますが
前にあるレイヤーさんに
「閣下さんは撮影されるから撮影してもらえないレイヤーの気持ちが解らないんです」
と、言われた事があります。

正直、解りません
こちとら同人誌即売会が撮影機材持ち込み禁止が当たり前だった時期からコスプレしているので
撮影目的の為にコスプレしている訳ではありませんからね


ちょっと前にイベント会場で撮影をしているととあるカメラマンに
「閣下さんはまるで記念撮影ばかりしてるみたいですね」
「駄目ですよちゃんと作品を撮らなきゃレイヤーさんに失礼ですよ」
と、言われた事があります。

いや、私は記念撮影してるのですが・・・(´・ω・`)
人の感情と言うのは時と供に変わり行くもの
今、この瞬間の作品やキャラが好きだと言う高まる気持ち
その人のその気持ちの一片でも写真に残せるなら残したい
私はこういうスタイルですが
作品を撮影しないとレイヤーさんを不快にさせるなら
もう撮影は出来無いですね


ウィッグやカラコンをしてないとコスプレでは無いのか?
衣装も素人の見よう見真似の出来栄えではやってはいけないのか?


何時からコスプレはそんな敷居の高い物になったのか?
誰がこんな敷居の高い物にしたのか?


高ぶる気持ちでその人の精一杯の技術で出来たコスプレが
ダンボール被ってガンダムって書いてる物が
コスプレならそれがコスプレでいいじゃないか


人は感情の生き物であり
愛情も友情も眼には見えない物です。
眼に見えなくとも確かにここに在る物と言うのがあります。

それが感情論でしか語れないものであるなら
感情論も無視してはいけないと思っています。


そして私が同人イベントやコスプレを通して伝え残して行きたいものって
そうした眼に見えないものであり
「人の思いの力」だったりするんですよね

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