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「表現する者にも人権がある
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コスプレ界の集団いじめと風
【文化を殺すのは誰か 封建
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【文化を殺すのは誰か 封建的学級会と因習村社会を超えて
ぼんちのマッキー
2025年04月30日 05:48
日本におけるコスプレ文化は、長らく“自由な表現”と称されてきた。
だが現実には、その自由は極めて狭く、内部からの同調圧力によって縛られている。
その象徴が、いわゆる「コスプレ学級会」と呼ばれる風潮であり、
それは「空気を読め」「TPOを守れ」「目立ちすぎるな」といった、
時代錯誤な道徳観に基づく封建的ルールの内製によって成り立っている。
この構造は、まさに因習村社会そのものだ。
旧態依然とした“村”のような空気が、外からの新しい風を拒み、
目立つ者、個性的な表現者を「痛い」「迷惑」として排除する。
誰かが制服を着て空港を歩けば、
「空気を乱すな」と言われ、
誰かがイベント外でキャラを纏えば、
「TPOを考えろ」と叱責される。
だがその「空気」とは、一体誰が作ったのか?
その「マナー」は、誰のためのものだったのか?
はっきり言おう。
それは、文化の成長を恐れた界隈の内向きな防衛本能であり、
「叩かれたくないから自粛する」という臆病な個人の集積にすぎない。
その“封建的な正しさ”が、どれほど日本の表現文化を窒息させてきたか。
それが如実に浮き彫りになるのが、2025年大阪・関西万博の方針である。
大阪万博では、明確に「コスプレ入場は原則認められる」と公式に定められている。
禁止されているのは、あくまで他者への迷惑行為や衛生・安全上のリスクであり、
表現としての仮装やコスチューム自体は一切否定されていない。
これは、国家レベルの公共イベントがコスプレを文化として認めた証左だ。
つまり、「世間の目」「公共の空間」「マナー違反」という
コスプレ学級会が長年振りかざしてきた反論の根拠は、
もはや全て、崩壊しているのである。
その一方で、未だに界隈内では、
「屋外でのコスプレは慎むべき」
「撮影目的以外の外出は非常識」といった声が根強い。
しかし、問いたい。
その“慎ましさ”で、文化は広がったのか?
その“空気を読む姿勢”で、社会に尊重される文化になったのか?
否である。
ファッション業界は今、
アニメやゲームのビジュアル表現を積極的に取り込み、
ぴっちりスーツ、メカ系装飾、魔法少女風デザインなどを
ハイブランドの文脈で再構築している。
Z世代の表現欲求は、明確に「キャラを纏うこと」「自分を表現すること」へと向かっている。
だが、コスプレ界隈の古い勢力はその変化に気づこうとせず、
今なお“昭和的マナー”を盾に、未来の芽を摘み続けている。
私たちは、もうこの呪縛から自由になるべきだ。
万博がOKを出した今、
ファッション誌が肯定し始めた今、
「空気を読んで文化を殺す」時代は終わらせなければならない。
コスプレは文化だ。
街に立っていい。
制服を着て飛行機に乗っていい。
プリキュアになって映画館に行っていい。
文化とは、誰かに認められて生まれるのではない。
誰かが「それでもやる」と決めたときに、生まれるのだ。
そしてそれを、最初にやったのは、
誰よりも早く、たった一人で制服を着て空を飛んだ者たちだ。
封建的な因習村に背を向けた、
孤高の制服戦士たちである
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