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信頼と表現の自由を守るため
「デジタルタトゥー」とは何
今後について
コスプレイヤーにも人権があ
現在の状況についてご報告い
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信頼と表現の自由を守るために
ぼんちのマッキー
2025年05月25日 05:41
私は長くコスプレという文化を通じて、自由な表現と交流を楽しんできました。
しかし最近、ごく一部のユーザーから、私の活動や人格に対する不適切な書き込み・憶測が繰り返されるようになりました。
私は当初、静観するつもりでいました。ですが、他のレイヤーさんや関係ない第三者にまで被害が広がる兆しが見えたため、やむを得ず、所定の手続きにより 発信者情報開示請求と侵害情報通知を行いました。
私だけ謝れば済む問題ではありません。被害を受けたレイヤーさんやアーカイブ運営にも謝罪すべきだ。その後豹変して謝罪を取り消した。恩を仇で返された気持ちです。
ネットに書かれた言葉は、たとえ削除されても「デジタルタトゥー」として残り続けます。書いた本人は忘れていても、傷ついた側は忘れられません。
そして、その投稿が規約違反や権利侵害に当たると判断されれば、法的にも責任を問われることになります。
私は今後も、人格を守りながら、コスプレ文化を前向きに楽しんでいきたいと思っています。
皆さんにお願いしたいのは、「言葉の責任」をもう一度見直すこと。
この文化が安心して続けられる場所であるために、どうかご協力ください
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「デジタルタトゥー」とは何か
ぼんちのマッキー
2025年05月25日 05:35
最近、私自身の経験を通して「デジタルタトゥー」という言葉の重みを改めて感じています。
インターネット上の発言は、一度公開すればスクリーンショットやログとして半永久的に残り続け、後から削除しても完全には消えません。そして、それが他人の名誉を傷つけるものであれば、本人が気づいた時点で傷はすでに広がっています。
私に対する一連の書き込みに対して、アーカイブ運営を通じて法的手段(発信者情報開示請求、送信防止措置など)及び警察への相談を取らざるを得なくなったのも、軽い気持ちの投稿が現実の社会的影響を生んでしまった一例です。
謝罪や削除をしても、「記録が残ってしまった以上、消せないものがある」という現実。それがデジタルタトゥーです。
匿名であっても、ネットの投稿には責任が伴います。コスプレという楽しい文化が誹謗中傷や名誉毀損によって汚されないよう、どうか皆さんにもこの言葉の意味を一度考えていただけたらと思います。
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今後について
ぼんちのマッキー
2025年05月24日 21:50
該当者が私に謝罪の意向を示しましたが、私だけ謝罪するでなく、他のレイヤーさんを中傷する内容を削除したり、さらにコスプレイヤーズアーカイブ運営にも謝罪してほしい。
何かあったらスクショしてアーカイブ運営や警察に送信します。
本当に謝罪するなら私だけ謝れば済む問題ではありません!
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コスプレイヤーにも人権があります!
ぼんちのマッキー
2025年05月24日 14:15
私は長年、表現のひとつとしてコスプレ活動を続けてきました。
衣装を纏い、自分の好きな作品・キャラクターを通して、誰かと共感し、交流することに大きな喜びを感じてきました。
しかし近年、SNSや投稿サイトにおいて、特定のコスプレイヤーを標的とした誹謗中傷・人格攻撃が散見されるようになりました。
それは「衣装が派手すぎる」「ルールを守っていない」「あの人は〇〇だから」など、根拠のない主観的批判や蔑視の言葉にあふれています。
コスプレイヤーも、人間です。
誰かを楽しませたい、自己表現をしたい、憧れを再現したい――そんな純粋な気持ちで行動している人に対して、無責任な中傷やラベリングを行うことは明らかに人権侵害です。
今私は、投稿者による悪質な書き込みに対し、法的に正当な手段を通じて対応しています。
「表現の自由」が保障されているのと同じく、「他人の人格を踏みにじられない自由」も、平等に守られるべきです。
どんなに匿名であっても、どんなに小さな投稿であっても、
一つの言葉で心が傷つき、未来が閉ざされることもあります。
私はこれからも、堂々と、自分の信じる表現を続けます。
そして同じように苦しむ人がいたら、共に声をあげていきます。
コスプレは、恥ずかしいものではありません。
それを理由に人を傷つける行為こそが、私たちの社会から消えてほしいと思っています。
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現在の状況についてご報告いたします
ぼんちのマッキー
2025年05月24日 12:35
この日記はアーカイブのメンバーにのみ公開されています。
誹謗中傷と人権意識について
ぼんちのマッキー
2025年05月21日 20:59
この日記はアーカイブのメンバーにのみ公開されています。
然るべき対応の一部受理に関するご報告
ぼんちのマッキー
2025年05月20日 23:51
この日記はアーカイブのメンバーにのみ公開されています。
「表現する者にも人権がある」
ぼんちのマッキー
2025年05月19日 02:51
今、コスプレ文化の中で、ある問題が私の心に重くのしかかっています。
それは、「コスプレ」という表現活動が、時に心無い批判や誹謗中傷の的になり、一人の人間の尊厳を脅かす事態が現実に起きているということです。
■ きっかけは、あるコスプレイヤーさんが公共の場でコスプレを行ったことでした。
その行為の是非を巡る議論は一部理解できるものもありましたが、次第にその方の人格攻撃や私生活への中傷、さらには実名・個人情報の晒しといった、許されない行為へと変化していきました。
中には「死ね」「存在が汚い」といった暴言や、事実無根の情報を意図的に広める人も出てきました。
■ 表現する側の心も、命も、限界があります。
批判と暴力は違います。
異なる意見を持つことは自由です。でも、それを盾にして誰かの人生や心を踏みにじる権利は誰にもありません。
私自身も、似たような被害にあっている一人です。
実名を晒されたり、「精神異常者」と決めつけられる投稿を見たとき、心が凍るような思いがしました。
■ コスプレとは本来、自分を好きになるための表現であり、作品やキャラへの敬意から生まれる文化です。
それを「誰がふさわしいか」「誰はやってはいけないか」と他人が裁くような風潮は、本来あるべきコスプレ文化から最も遠いものではないでしょうか。
■ ネット社会は便利ですが、匿名性の裏で人を追い詰めるツールにもなり得ます。
だからこそ、私は声をあげます。
「表現者にも人権がある」
「“コスプレ界のルール”という名の暴力を容認しない」
「作品を愛する気持ちは、誰にも否定されていいものではない」
もしこの言葉が、誰かの心に届いてくれるなら嬉しいです。
苦しんでいる誰かに「ひとりじゃない」と伝われば、私達はそれだけで救われます。
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渋谷女子がガングロしたら、世間の話題になった。
ぼんちのマッキー
2025年05月16日 07:09
かつて、渋谷の女子高生たちが“ガングロ”メイクをして街に現れたとき、
世間は騒然とした。
「なんだあのメイクは」
「日本が壊れる」
「怖いが、目が離せない」
そんな声とともに、テレビは特集を組み、雑誌は連日取り上げ、
ガングロは“現象”として認知され、議論され、記録されていった。
だが――同じくビジュアルで表現し、
文化への愛と誇りを体に刻んでいるコスプレは、
一体どれだけ「社会の話題」になっただろうか?
答えは、ほとんどゼロに等しい。
むしろ逆だった。
• 「目立つな」
• 「空気を読め」
• 「イベント以外では控えろ」
• 「常識を疑われるぞ」
そう言われ、界隈の内側から排除されてきた。
ガングロが「外側の異物」として評価され、
コスプレが「内側の異常」として切り捨てられるこの構造。
その背景には、
**コスプレ界隈に根強く残る“学級会的封建体質”と“因習村的同調圧力”**がある。
「周囲に迷惑をかけないように」
「TPOを守らないとジャンルに泥を塗る」
「浮く奴はオタクの恥だ」
そんな言葉が、文化の広がりを封じ、
自由を怖れ、表現者を黙らせてきた。
でも、よく考えてみてほしい。
ガングロがあれほどメディアに出られたのは、
誰も“空気を読む”なんてことを気にしなかったからだ。
むしろ、「空気を読まないことこそが存在証明」だった。
そして、ガングロ文化はやがて一周し、
2020年代のZ世代ギャルカルチャーの礎として認知されている。
対して、
私たちが守ってきた“空気”は何をもたらした?
自粛、遠慮、制限、そして孤独――
文化の成長は、封印されたままだ。
もう、そろそろ答えを出してもいい。
ガングロが時代を変えられたのは、
文化の“恥”を、当事者たちが“誇り”に変えたからだ。
ならば、コスプレだってできるはずだ。
“空気を読まない制服”で飛び、
“誰もやらないキャラ”を纏い、
“街に立つ”ことで、未来を変えていける。
ガングロのように。
ギャルのように。
私たちも、自分の色で、世界を塗り替えていい。
一方で、私たち――コスプレイヤー界隈にいる者たちは、
少しでもイベント外で衣装を着ようものなら、
「TPOを守れ」「一般の目を考えろ」「痛いからやめろ」と、すぐさま叩かれる。
「学級会」と揶揄されるような空気が今なお強く、
目立てば非難、浮けば村八分。
そんな“封建的な因習”が、今もこの界隈には生きている。
だが、冷静に考えてみてほしい。
なぜ渋谷の女子高生が制服風コスで109前を歩けば称賛され、
私たちがプリキュアの衣装で映画館に立てば「非常識」と言われるのか?
そこには、明確な“空気の差”がある。
渋谷の女子たちは、
「空気を壊してナンボ」「自分を表現してナンボ」だというカルチャーの中で育った。
ファッション誌もTikTokも、彼女たちを“表現者”として支えてくれる。
対してコスプレ界隈は、
“規律を守る者が評価される”“空気を読むことが文化的”といった、
封建的な村社会的価値観=因習村体質に縛られてきた。
つまり、
渋谷女子とコスプレイヤーが同じことをしても、
空気と構造が違えば、自由と称賛を得られるか、嘲笑と排除を受けるかが分かれてしまうのだ。
それは、本当に健全な文化のあり方だろうか?
「目立つな」「迷惑だ」「空気を読め」――
これらの言葉は、かつてギャル文化を叩き、
今ではV系も、原宿も、コスプレも縛り続けてきた。
けれど、大阪万博はコスプレを公式に容認している。
ファッション業界はアニメの文脈を次々に取り込んでいる。
コスプレとは、文化だ。
それを恥じる社会こそ、
変わらなければならないのだ。
社会はもう、「コスプレ=迷惑」なんて思っていない。
変わっていないのは、私たち自身の“空気”の方なのではないか?
だから私は言いたい。
そろそろ、私たちの中の因習を捨てるときだ。
渋谷女子を責めるのではない。
彼女たちが自由に歩ける世界を、私たちの足でも歩けるようにするのだ。
誰かの“許可”を待つのではなく、
誰かの“怒り”を恐れるのではなく、
自分の誇りで、制服を着て、街に立とう。
私たちもまた、
自由を、表現を、未来を生きる者なのだから。
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現在、一部の投稿に関して然るべき対応を進めています。
ぼんちのマッキー
2025年05月16日 06:21
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